島崎藤村ゆかりの地

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『破戒』の文学碑

長野市豊野町豊野にJR飯山線豊野駅がある。


豊野駅北口に『破戒』の文学碑があった。


 軈て発車を報せる鈴の音が鳴つた。乗客はいづれも埒(らち)の中へと急いだ。盛な黒烟(くろけぶり)を揚げて直江津の方角から上つて来た列車は豊野停車場(ステーション)の前で停つた。高柳は逸早(いちはや)く群集(ひとごみ)の中を擦抜(すりぬ)けて、一室の扉(と)を開けて入る。丑松はまた機関車近邇(より)の一室を択(えら)んで乗つた。思はず其処に腰掛けて居た一人の紳士と顔を見合せた時は、あまりの奇遇に胸を打たれたのである。

『やあ――猪子先生。』

 と丑松は帽子を脱いで挨拶した。紳士も、意外な処で、といふ驚喜した顔付。

碑陰に説明があった。

 文豪島崎藤村は明治34年(1899年)4月、28歳のとき旧師木村熊二の招きで小諸義塾の教師として北佐久郡小諸町(現小諸市)へ赴き、明治38年(1905年)4月まで6年間住んだ。この間に詩から散文に転じ、日本自然主義の記念碑的作品『破戒』の稿を起こした。

 藤村は明治34〜6年のある秋と明治37年1月に飯山を訪ねたこと『千曲川のスケッチ』に書かれている。いずれも豊野停車場で下車し、蟹沢船場まで歩き、そこから川船で千曲川を下っている。『破戒』第7章・第12章に描かれている明治の豊野停車場の姿は、このときの見聞にもとづいたものである。ここに刻まれた碑文は、『破戒』第7章のなかの描写の一部である。文字は北野美術館秘蔵の藤村自筆稿『破戒』から採った。

長野県国語国文学会長 東 栄蔵撰
昭和63年(1988年)9月23日
豊     野     町
豊野町教育委員会 建立

 平成17年(2005年)1月1日、豊野町は戸隠村、鬼無里村、大岡村とともに長野市へ編入合併。

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