文豪島崎藤村は明治34年(1899年)4月、28歳のとき旧師木村熊二の招きで小諸義塾の教師として北佐久郡小諸町(現小諸市)へ赴き、明治38年(1905年)4月まで6年間住んだ。この間に詩から散文に転じ、日本自然主義の記念碑的作品『破戒』の稿を起こした。
藤村は明治34〜6年のある秋と明治37年1月に飯山を訪ねたこと『千曲川のスケッチ』に書かれている。いずれも豊野停車場で下車し、蟹沢船場まで歩き、そこから川船で千曲川を下っている。『破戒』第7章・第12章に描かれている明治の豊野停車場の姿は、このときの見聞にもとづいたものである。ここに刻まれた碑文は、『破戒』第7章のなかの描写の一部である。文字は北野美術館秘蔵の藤村自筆稿『破戒』から採った。
長野県国語国文学会長 東 栄蔵撰
昭和63年(1988年)9月23日
豊 野 町
豊野町教育委員会 建立