明治39年(1906年)3月、小諸義塾閉鎖。25日、藤村『破戒』を自費出版。
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刈萱堂往生寺の丘の上に藤村碑があった。

蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。
よく阿弥陀の鬮(くじ)に当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。
夜の休息(やすみ)を知らせる鐘が鳴り渡つて、軈(やが)て見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、
沈まりかへつて居た朋輩が復た起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。終には往生寺の山の上に登つて、苅萱の墓の畔に立ち乍ら、大な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景(ありさま)は変りはてた。
楽しい過去の追憶(おもひで)は今の悲傷(かなしみ)を二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、奈何(どう)して俺は斯様(こんな)に猜疑深(うたがひぶか)くなつたらう。』斯う天を仰いで歎息した。
急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労(つかれ)が出て、『藁によ』に倚凭(よりかゝ)つたまゝ寝て了つた。
平成4年(1992年)8月22日、藤村50回忌に藤村碑建立。
一部が削り取られている。
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