啄木の歌碑
愛宕公園
潮かをる北の濱辺の |
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砂山のかの濱薔薇よ |
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今年も咲けるや |
石川啄木が明治37年(1904年)9月29日初めての野辺地町をたずね「・・・・野辺地が浜に下車して 咲き残る浜茄子の花を摘み 赤きその実を漁童と味わいなどして・・・・」と友人へ報じている。 伯父葛原對月が常光寺住職として15年間在住し、父一禎もこの師僧を慕って数年間身を寄せ、啄木もまた数回訪れて数々の文献を残された。我が町は県下唯一の啄木ゆかりの地といえる。天才詩人の琴線にふれた浜薔薇の実は今も浦の潮風にゆれている。 ここに啄木没後満50年を記念し、万人に愛されている啄木文学を顕彰し、ゆかりの歌を刻み、その面影をしのぶよすがとした。 昭和37年5月4日 |