徳川光圀ゆかりの地



「水戸黄門と助さん格さん」の像

水戸と言えば水戸黄門。


昭和59年(1984年)3月、千波湖に徳川光國公像設置。小森邦夫制作。

水戸駅北口に「水戸黄門と助さん格さん」の像があった。


立山町の黒谷美術制作。

平成5年(1993年)2月、設置。原型作者小森邦夫。

平成5年(1993年)10月22日、小森邦夫没。

 水戸黄門で知られる水戸光圀は江戸幕府を開いた徳川家康の孫にあたり御三家水戸藩の第二代藩主でもある。藩政では人間尊重の立場に立ち、常に庶民に思いやりの心を忘れず、また大日本史の編さんや文化財の保護に意を用いるなど大胆で文化行政によって平和時の英雄とも評された。 明治以後光圀を主役とする諸国漫遊記の類が創作されたのは、こうした光圀の心を汲みとったものであろう。黄門というのは、昔朝廷から任命された中納言のことである。その中納言は他に何人もいるのに水戸黄門といえば光圀を指すようになったのは、それだけ光圀が天下に有名だったからである。お供の助さん格さんは佐々介三郎、安積覚兵衛がそのモデルといわれ、ともに大日本史の編さんに尽力した学者である。3人がそろって旅をしたことはないが、光圀の命で介三郎らが資料収集のため全国を旅しているので、それが漫遊物語に発展したのであろう。

 水戸駅北口再開発事業を記念して光圀誕生の地に隣接する水戸駅前にこの像を建立するものである。中央が水戸黄門、左が助さん、右が格さんをイメージしている。

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