義経伝説の地


源義経公妻子の墓

中尊寺から金鶏山へ。


金鶏山登山入口に千手堂がある。


千手堂の裏に源義経公妻子の墓があった。


源義経公妻子の墓

 源頼朝の威圧によって藤原泰衡が高館の源義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられる。時は平安時代の文治5年(1189年)閏4月30日、31歳で最期を遂げられた。

 このお墓は、高館で悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが、元は千手院境内で、ここから約300m程の西北金鶏山の山麓にあったが、ここに墓石を遷し供養を怠らない。

金鶏山へ。


金鶏山

 平泉の中心部に位置する標高約100mの円錐形の小高い山です。

 「二代基衡が黄金で雄雌の鶏を造り、山中にこれを埋めて平泉を鎮護した」という伝承があり、山頂には12世紀の経塚の高まりが残っています。東麓には花立廃寺と呼ばれる寺院跡があります。毛越寺の東側を区画する土累の延長線上に、この山頂が位置することから、毛越寺やその周辺の町並は、金鶏山に基づいて造られたものと想定されます。

 また、無量行院跡から見た金鶏山は、仏教の西方浄土の景観を現しているとされ、こうした信仰の象徴としても重要な山です。

金鶏山山頂


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