井上円了ゆかりの地

湯ヶ島温泉〜浄蓮の滝〜

 大正3年(1914年)5月2日、東洋大学の創設者井上円了は奥羽旅行に先立ち、湯ヶ島温泉を訪れ、「落合楼」に宿泊した。

湯ヶ島温泉「落合楼」


 奥羽行にさきだち、春来数カ月間巡講の疲労をいやせんと欲し、大正3年5月2日、にわかに思い立ち、豆州天城山下の温泉に向かいて休養を求む。この日、雨をおかして大仁駅より馬車に転乗し、狩野川にそいてさかのぼること4里、上狩野村字湯ヶ島温泉場落合楼に入宿す。当所の浴楼は落合を第一とし、これに次ぐものを湯本館とす。 林壑(りんがく)の幽邃にして渓流の清霊なるは、豆州諸温泉場中、落合楼にしくもの少なし。楼前に一条の釣り橋あり、左右上下に微動す。婦女子これを渡ること危ぶむ。よって俗歌をうそぶく。

   渡らでも見るもあやぶき落合の、川にかけたる天の釣橋、

 二条の渓流ここに居たりて一となる。故に落合と名付く。その潺渓(せんけい)の声、終夜枕頭に響く。これまた俗歌をもって写す。

   夜もすがら滝瀬の音の絶えざれば、雨かとそ思ひ風かとそ思ふ、

井上円了奥羽温泉紀行(湯ヶ島紀行とも)

 猫越(ねっこ)川と本谷(ほんたに)川が庭内で合流して狩野川となるのを見て、山岡鉄舟(1836〜1888) が「落合楼」と名付けたそうだ。

 4日、快晴。天地ともに青し。ときにでたらめ1句を吐く。

   雨すぎて一きは青し夏木立。

 こりより山行30町。狩野川の水源たる浄蓮滝を訪尋す。これ豆州第一の瀑布なり。

浄蓮の滝


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