流紋岩の溶岩が波の侵食と土地の隆起によってえぐられてできた男鹿半島で最大の高さを誇る海食洞窟です。海、陸、空(天井)に穴が開いており、洞窟内は差し込む光と波の音でとても神秘的です。その昔、洞窟の絶壁に鉄のカギを掛けて上り下りしたことから「カギカケ」と言われ、それが変化して「カンカネ」と呼ばれるようになったと言われています。 |
文化7年(1810年)7月15日、菅江真澄は雁金(かんかね)の窟(いわや)に入ってみたが、暗くて奥まで行けなかった。 |
十五日 産土(ウブスナ)詣りとて、手ごとに蒸飯、醴酒(コザケ)のおしものを手酬ありく。菅原なにがしが斎(マツ)る菅大臣は、その遠つおやよりいはひ奉る事よしありとか。あしたより零る雨晴て、不動明王の滝見なんと出づ。この帰るさに、青沙の浜づたひして雁金(カンカネ)の窟に入て、尚奥く行むも、内くらければよしなう。夕つかた、月見がてらに帰り来て青沙にやどかりぬ。
『牡鹿の嶋風』(おがのしまかぜ)
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蝙蝠の窟に漕ぎ寄せて、舵で船端をたたくと、その音に驚いて蝙蝠がむらむらと出てくるが、この中に五色の蝙蝠がいるという。それで五色の蝙蝠が五頭の鬼となったという伝説があるのだろうか。 |
その昔、漢の武帝が降り立ち、巫女に舞を踊らせたという言い伝えが残されています。島という名ですが、実際には陸続きで、海面からの高さ約60mの平らな頂上部は、天空の舞台のようです。多くの絵図にも描かれており、江戸時代にはこの名で呼ばれていました。 舞台島は火山噴火によって生じた玄武岩質の岩石で構成されます。そして、波食台と呼ばれる、波に侵食された平らな地形になり、その後隆起したと考えられています。 |
文化7年(1810年)7月17日、菅江真澄は丸木舟で漕ぎ出して舞台島・蝙蝠の窟を訪れている。 |
塩瀬崎は波に侵食された平らな地形(波食台)が少し隆起したものです。ここでは約3,000万年前の火山の噴出物である火山礫凝灰岩が風化によって独特の形に削り出されており、自然の美術館ともいえるジオサイトです。 |
怪獣ゴジラにそっくりなことから、平成7年(1995年)に名付けられました。特に口元に夕陽と夕焼け雲を重ねた「火を吹くゴジラ」が人気です。 |
道路側から見ると、亀が海に向かっているように見えるので、「カメ岩」という名前が付きました。胴体が少し大きすぎてバランスはあまりよくありませんが、目を見張るほどの大きさがあります。甲羅の上には、昭和30年(1955年)に設置された潮瀬埼灯台が立っています。 |