はじめ韮崎という町に宿をとって春の来るまで付近のようすを見てまわった。そこは釜無川の東がわで、川上のほうにはむかし竹田勝頼の拠った新府城の址がある。川に面した断崖の上で、石垣も塁も乱雑たる廃墟だったが、今でも土を掘れば刀の折れや焼けた籾などが出るということである。
『山彦乙女』より |
元禄4年(1691年)10月、京都から江戸に向かう途中、三河の鳳来寺で詠まれた句。 |
韮崎 走り穗の白き秋田をゆきすぎて釜なし川は見るに遙かなり 甲斐に入りてより四日、雲つねに山の巓を去らず 韮崎や釜なし川の遙々にいづこぞ不盡の雲深み見えず |
十一月北国の旅にて三首 韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ 柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きて去にきと人に語るな たはれめが青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし
『桐の花』 |