大橋小橋、最後のバスも通つてしまつて螢 ・バスの挿花の、白百合の花のすがれてはゐれど
『其中日記(六)』 |
湯田名所 大橋小橋ほうたるほたる |
御無沙汰し失礼失礼、御かハりないでせう、お忙しいだらうとお察しいたしてをります、私ハ帰来とかく身心おちつかず――橘が匂ひ螢がとべば!――また旅に出るつもりです、奥様によろしく。 ほうたるほたるなんでもないよ 山
昭和14年6月15日、木村緑平宛書簡 |
うつくしき螢の群のかゝやきを |
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このうつし世の光ともかな |
昭和30年(1955年)6月、山口市が湯田大橋に建立。吉井勇は除幕式に訪れた。 |
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昭和35年(1960年)11月19日、吉井勇は74歳で没。 |
平成9年(1997年)3月、良城橋改修。 |
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平成10年(1998年)3月、移設。 |
昭和30年、知人の湯田の山水園主中野仁義(ひとよし)の招待で山口を訪れた吉井勇が、湯田大橋のホタルを鑑賞した。ちょうどホタルが最盛期であり、吉井勇が「これは素晴らしい。山口でもホタル塚を建てては」と言って京都に帰っていった。 この年は、山口のホタルが昭和10年に天然記念物に指定された20周年にあたり、その記念行事として「うつくしき 蛍の群れのかがやきを このうつし世の光ともかな」という吉井勇の歌碑を湯田大橋に建立したものである。このホタル塚は、儚いホタルの一生を哀れんで、短命であればあるだけ美しいもので、誰もが愛撫する心を持つことを願って歌われたものと聞く。この歌碑の石は、もちろん吉敷川の上流から運ばれたものである。
ふるさとだより「よしき」(2018/12) |