2019年山 口

吉敷川〜ホタル塚〜
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津和野から山口線で山口へ。


山口線は全線非電化である。

山口で乗り換え、湯田温泉へ。


国道9号山口バイパスから国道435号に入り、吉敷川を越える。

吉敷川は螢の名所であったようだ。

昭和9年(1934年)6月29日、種田山頭火も訪れているようである。

 大橋小橋、最後のバスも通つてしまつて螢

・バスの挿花の、白百合の花のすがれてはゐれど

『其中日記(六)』

    湯田名所

 大橋小橋ほうたるほたる


昭和13年の句である。

御無沙汰し失礼失礼、御かハりないでせう、お忙しいだらうとお察しいたしてをります、私ハ帰来とかく身心おちつかず――橘が匂ひ螢がとべば!――また旅に出るつもりです、奥様によろしく。

   ほうたるほたるなんでもないよ   山

昭和14年6月15日、木村緑平宛書簡

「大橋」は、湯田大橋。

昭和29年(1954年)5月、諫早市の諫早公園に「螢塚」建立。

良城橋の西側にも「ホタル塚」があった。


うつくしき螢の群のかゝやきを

このうつし世の光ともかな

昭和30年(1955年)6月、山口市が湯田大橋に建立。吉井勇は除幕式に訪れた。

昭和35年(1960年)11月19日、吉井勇は74歳で没。

平成9年(1997年)3月、良城橋改修。

平成10年(1998年)3月、移設。

 昭和30年、知人の湯田の山水園主中野仁義(ひとよし)の招待で山口を訪れた吉井勇が、湯田大橋のホタルを鑑賞した。ちょうどホタルが最盛期であり、吉井勇が「これは素晴らしい。山口でもホタル塚を建てては」と言って京都に帰っていった。

 この年は、山口のホタルが昭和10年に天然記念物に指定された20周年にあたり、その記念行事として「うつくしき 蛍の群れのかがやきを このうつし世の光ともかな」という吉井勇の歌碑を湯田大橋に建立したものである。このホタル塚は、儚いホタルの一生を哀れんで、短命であればあるだけ美しいもので、誰もが愛撫する心を持つことを願って歌われたものと聞く。この歌碑の石は、もちろん吉敷川の上流から運ばれたものである。

ふるさとだより「よしき」(2018/12)

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