当山は兩教山釈迦寺萬福寺と称し、その山号の如く、境内上段の本堂に阿弥陀如来を奉安、鐘楼に山口市指定文化財の梵鐘あり、中段の釈迦堂に釈迦如来を奉安、別に自由律俳人種田山頭火の句碑あり。昔から世の人々はお釈迦様のお寺と言い慣らわして現在に至っておる。 山頭火其中日記にも「嘉川は折からお釈迦様の縁日」と記されておる。因みに縁日とは五月八日九日の釈迦降誕会(花まつり)のことで、当日は遠近から参詣者で大変な賑わいである。
嘉川釈迦如来保存会 |
昭和63年(1988年)5月8日、山頭火訪山55周年記念して嘉川釈迦如来保存会が建立。 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、74番目の山頭火句碑である。 |
昭和八年五月八日付、山頭火其中日記からの抜粋「嘉川は折からお釈迦様の縁日、たいへんな人出、活動写真、節劇、見世物、食堂出張店、露天がづらりと並んでゐた。どの家でもご馳走をこしらへてお客がゐた。厚狭から風呂も沸いてゐた。着飾った娘さん、気取った青年が右往左往してゐた。その間を私と、そしてオイチ薬売とが通るのは時代逆行的景観であった。人、人、埃、埃、その中をくぐっていって」と、当日の日記には六句が記されてゐるが、その中の二句 村はおまつり家から家へ若葉のくもり 麦のごたごた店をならべて 右の中から「村はおまつり」の句を碑面に刻んだ。 また絶筆となった日記には「懺悔、感謝、精進の生活道は人の本道であると思ふ、この三道は所詮一つだ」と記してある。 一道に徹するものは人生の達人なり。 山頭火拝登55周年を記念して。
嘉川釈迦如来保存会 |
昭和15年(1940年)10月7日、山頭火が護国神社を参拝した時のことである。 |