下関市竹崎町3丁目の国道191号沿いに中国電力ネットワーク株式会社下関ネットワークセンターがある。 |
文化9年(1812年)3月7日、この地に生れ、明治13年(1880年)8月31日)、69歳で世を去った。 正一郎は、回船問屋小倉屋の主人として家業にたずさわるかたわら、国学に深い関心を持 ち、43歳の頃国学者鈴木重胤の門下に入って、尊皇攘夷論の熱心な信奉者となった。 また「橘園」の号をもつ歌人でもある。 彼の残した日記は、明治維新研究にとって第一級の貴重な資料といわれる。その中には、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)のいわゆる維新の三傑をはじめ、坂本龍馬、梅田雲浜など志士400人余の名を数えることができる。また、明治天皇の叔父中山忠光卿、三条実美卿ら七卿も白石家に滞在している。 文久3年(1863年)6月、白石家で奇兵隊が結成されたことは、あまりにも有名であり、以来、彼も奇兵隊員として、また商人として高杉晋作と親交を深めるとともに奇兵隊を援助した。 このあたりに白石家の浜門があって、海へ通じており、志士たちはここから出入した。 白石家の海へ降りる門は新しい時代へ向う黎明の門だったといえる。
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維新後の白石正一郎について、下関在住の作家古川薫にいい文章がある。無断で借用すると、 「正一郎の場合、その功績をみずから語ることばも、不遇をかこつ片言さえののこしていないことが、私たちにはわずかな救いである。ただ正一郎が安政四年(一八五七年)から明治十一年にいたる身辺の動きを克明に書きこんだ分厚い日記が無気味に遺されているだけだ」 とある。
『街道をゆく』(長州路) |
長州藩を明治維新へと推し進めたのは奇兵隊であるが さらに明治維新を解明する鍵が奇兵隊にあるともいわれている 奇兵隊は文久3年6月 この地の回船問屋白石正一郎家で結成された 正一郎は結成と同時に入隊し 高杉晋作を援けた 年令も 身分もまったく違う二人のかたい結びつきが奇兵隊をささえたということができる
題字 山根寛作書 |