「はるもやゝけしきとゝのふ月と梅」の句碑があるはずだったが、見つからなかった。 |
なミた松のもとにて |
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帰らしと思ひさためし旅なれは |
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ひとしほぬるゝ涙松かな |
安政6年(1859年)5月25日、吉田松陰は萩から江戸に護送された。 |
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後です。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すと言うので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られるとき「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしほ)ぬるる涙松かな」と詠んで一躍有名になりました。 |