2022年山 口

萩往還〜男爵楫取素彦〜
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明治33年(1900年)、小郡駅開業。

平成15年(2003年)10月1日、新山口駅に改称。

山陽本線新山口駅


明治31年(1898年)3月17日、三田尻駅開業。

昭和37年(1962年)11月1日、防府駅に改称。

防府市観光案内所で電動アシスト自転車を借りて三田尻へ。

萩往還


男爵楫取素彦・美和子終焉の地

〜窪田耕二氏が『男爵楫取素彦の生涯』に寄稿の「防府と楫取素彦」から抜粋〜

岡村町の男爵邸

 岡村町にあった楫取素彦男爵邸は500坪敷地の大邸宅で、迫戸川から三田尻港に流れる小川に架かる御影石の石橋を渡ると大きな門があり、高さ六尺以上の重量感のある土塁が家を囲んでいた。

 玄関にいたる広い前庭の左側には築山のある大きな池があり、築山にいたる太鼓橋の下に大鯉が泳いでいた。庭には椎の大木が数本鬱蒼と茂っていて、奥には古色蒼然とした建物(二階建て)があった。戦前は福島人絹の工場長、戦後は県立中央病院の先生が在住していた。昭和10年代、近所の子どもにとっては楫取邸大門前の広場は格好の遊び場、門内にも自由に出入り出来、秋には椎の実をひろって持ち帰り、炒っておやつにしたという。近所に住んでいた藤本傳治氏が旧宅の見取り図を描いてくれた。

岡村楫取素彦邸想起図(地元住民藤本傳治作図)


JR西日本の明治維新150年「維新周防巡り」で楫取素彦は防府駅の偉人。

 文政12年(1829年)3月15日、長門国萩魚棚沖町(現:山口県萩市)に藩医・松島瑞蟠の次男として生まれる。

 嘉永6年(1853年)、吉田松陰の次妹の寿と結婚。

 明治9年(1876年)、群馬県の初代県令となる。

 明治14年(1881年)、寿は43歳で他界。

 明治16年(1883年)、久坂玄瑞の未亡人であった松陰の末妹の美和子(文)と再婚。

 大正元年(1912年)8月14日、三田尻(現:防府市)で死去。

三田尻御茶屋(英雲荘)へ。

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