山口市湯田温泉の山口県道204号宮野大歳線沿いに「松田屋ホテル」(HP)がある。 |
文久3年(1863年)、8月18日の政変で三条実美ら七卿が京都を逃れ長州へ落ちのびた。藩では何遠亭に迎えたが、七卿らはしばしば松田屋に来遊滞泊した。 文久3年(1863年)、高杉晋作は松田屋玄関横の楓の幹に「盡国家之秋在焉」(国家ニ盡スノトキナリ)との文字を刻む。 元治元年(1864年)正月、三条実美は、朝倉八幡宮に詣でた際に持ち帰った松を松田屋の庭園に手植えし、一首の和歌をしたためた。 |
時しあらはよに あひおひのひめ小松 君にひかるゝこともありなむ |
慶応3年(1867年)6月16日、西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通は山縣有朋・品川弥二郎等が改めて薩長同盟の誓約。松田屋へもしばしば来駕し会談したと云われている。 |
明治20年(1887年)、新客室棟を増築。伊藤博文は「群巒閣」と命名し揮毫額を贈呈する。 |
六月十日、山口ニテ雨。アカマツ。と、私の手帳にある。「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿の、おそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松が、こまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔(すいたい)もじつにあざやかであった。 その印象を忘れぬためにかいておいた。
『街道をゆく』−長州路−より |
平成29年(2017年)2月9日、庭園は国の登録記念物(文化財)に登録された。 |