2018年山 口

弘法寺〜「萩墳」〜
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萩市土原の松本川沿いに弘法寺という寺がある。

寄舟山弘法寺


真言宗御室派の寺がある。

本堂の左手に「萩墳」があった。


   獅子庵蓮二法師
芭蕉翁桃青法師 老與歸童仙
   明譽廬元法師   古萩園社中建

文化4年(1807年)、古萩園一世加辺里川建立。

安永の初め、加辺里川は美濃に至り田中五竹坊の下で蛍雪の巧を積む。

文化12年(1815年)1月22日、歿。享年79。

萩墳   長門萩城下寄舟山弘法寺在リ

長藩萩府寄舟山龍華園の境内に、
弐間四面に石をしき、石の韓櫃を埋。
祖翁所持の廃筆一管、露の萩の短冊、
江州粟津本廟の土砂獅子門
道統代々の萩の句、真蹟色紙短冊、
美濃の宗師墳墓その所々の土砂、是を
筥に入れ、紫銅版にその旨趣を精細に
彫刻し相添へ、からりとの中に納め石蓋を
覆ひ、上に高サ壱丈尺余の石を建て、面に
祖翁より美濃代々宗匠の諡名を
隷書に鐫し、古萩園里川社中
ミつから土砂を運ひ造立して、
列祖の萩墳と敬称す。

しら露をこぼさぬ萩のうねり哉


 石棺に芭蕉の廃筆「しら露もこほさぬ萩のうねり哉」の短冊、義仲寺の土、支考の「六月によき隣あり萩の花」、廬元坊の「竿鹿もねに來よ萩の一夜庵」、帰童僊の「よりのかぬ中の見事や萩薄」の真筆短冊等を納めて埋めたようである。

「萩墳」の右に雪炊庵句碑があった。


萩に花のさく時来るも来たことよ

雪炊庵は安田以哉坊の別号である。

 「萩墳」の左に横たわっていたのが、各務支考の「六月によき隣あり萩の花」句碑であろう。

山根素全句碑


星の光り尖く
秋の暮て行

素全は萩藩士。名は半七、諱は忠成、初め雪汀園、後に六花園と称した。

万延元年(1860年)9月27日、兵庫の陣営に歿す。

弘法寺には、他に歌碑や句碑もあるようだが、よく分からなかった。

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