昭和9年(1934年)2月20日、長府の黎々火居から海岸線を下関へ歩く途中で詠まれた句である。午後、山頭火は地橙孫居を訪ねている。 |
見はるかす目にかがやかにうつりたる赤間が關の夏潮のいろ 大いなる船ほうほうと汽笛(ふえ)鳴らし馬關海峡暮れにけるかも 風師山にのぼりて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ 風師山のぼれば天の日もちかしすなはち心燃えにけるかも
『天 彦』 |
昭14年(1939年)10月、斎藤茂吉は鹿児島県から招かれた。帰途、雨の関門海峡を渡る。 |
關門 雨しぶく關門海峡の船に乘り二十二年の來し方おもほゆ 海峡の船の上にて群集も會ひたてまつる聖きもの一つ 雨雲のみだれ移るを車房よりわが見つつ居り關門の海 福岡も熊本もつひに過ぎぬればわが眼光(まなかひ)に友のおもかげ 南より北にむかひてうごく雲薩摩に近き海のうへの空
『のぼり路』 |
下 關 海峡に足向けて寢る長き夜を 門司の燈の長き夜長を減りもせず 春帆樓王者の犬が夜長吠ゆ
『青銅』 |
若山牧水「桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店よみせの油煙青海にゆく」の歌碑もあったようだが、気がつかなかった。 |