2019年山 口

細江町〜碑巡り〜
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下関市細江町に市立細江駐車場がある。

駐車場周辺の歩道に種田山頭火の句碑があった。


汽笛(フネ)とならんであるく早春の白波

出典は『其中日記(五)』。

 昭和9年(1934年)2月20日、長府の黎々火居から海岸線を下関へ歩く途中で詠まれた句である。午後、山頭火は地橙孫居を訪ねている。

吉井勇の歌碑


大いなる船ほうほうと汽笛ならし馬関海峡暮れにけるかも

出典は『天 彦』。

昭和11年(1936年)6月8日、吉井勇は下関から門司に入る。

見はるかす目にかがやかにうつりたる赤間が關の夏潮のいろ

大いなる船ほうほうと汽笛(ふえ)鳴らし馬關海峡暮れにけるかも

風師山にのぼりて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ

風師山のぼれば天の日もちかしすなはち心燃えにけるかも

『天 彦』

斎藤茂吉の歌碑もあった。


雨雲のみだれ移るを車房よりわが見つつ居り関門の海

出典は『のぼり路』。

 昭14年(1939年)10月、斎藤茂吉は鹿児島県から招かれた。帰途、雨の関門海峡を渡る。

   關門

雨しぶく關門海峡の船に乘り二十二年の來し方おもほゆ

海峡の船の上にて群集も會ひたてまつる聖きもの一つ

雨雲のみだれ移るを車房よりわが見つつ居り關門の海

福岡も熊本もつひに過ぎぬればわが眼光(まなかひ)に友のおもかげ

南より北にむかひてうごく雲薩摩に近き海のうへの空

『のぼり路』

平成8年(1996年)4月2日、建立。

斎藤茂吉記念館によれば、119番目の茂吉歌碑である。

昭和36年(1961年)9月、山口誓子は下関を訪れている。

   下 關

海峡に足向けて寢る長き夜を

門司の燈の長き夜長を減りもせず

春帆樓王者の犬が夜長吠ゆ

『青銅』

 若山牧水「桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店よみせの油煙青海にゆく」の歌碑もあったようだが、気がつかなかった。

残念なことをした。

後日、あらためて写真を撮りに行った。

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