2019年の旅〜山 口〜
戎ケ森児童公園〜種田山頭火の句碑〜
本名は種田正一、明治15年12月3日防府市八王子に生れる。(生家はここから北へ約300メートル)。周陽学校(現・防府高校)卒業、早稲田大学中退、萩原井泉水に師事し自由律俳句に没頭した。大正14年、44歳で出家し熊本の味取観音堂の堂守となったが、全国を行乞、漂泊する俳人となる。7年間の漂泊の後、小郡に「其中庵」を、ついで湯田に「風来居」、松山に「一草庵」を結び、昭和15年10月11日松山に没す。行年59歳。 山頭火の独自な境涯から詠まれた自由律俳句は高く評価され、俳名は全国に知られている。 墓は市内本橋町、護国寺境内にある。(ここから北へ約800メートル)。 句碑は昭和29年10月10日、友人有志により建立された。
防府市教育委員会 防府市観光協会 |
昭和7年(1932年)8月26日、山頭火は川棚温泉を去り小郡へ。9月4日、其中庵の土地と家屋とを検分する。 |
あの其中庵主として、ほんとうの、枯淡な生活に入りたい、枯淡の底からこんこんとして湧く真実を詠じたい。 いつも尿する木の実うれてきた 秋雨の枝をおろし道普請です ・雨ふるふるさとははだしであるく |
『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、5番目の山頭火句碑である。 |
この句碑は、明治四十四年頃、三田尻「椋鳥句会」で、山頭火と同席していた縁もあって、市内車塚の医師で俳人の故柳星甫(本名義雄)が発起人となって、友人が生家跡に近い戎ケ森に建立したものである。 当時は、この自筆句が見当らず、大山澄太先生に揮毫を依頼し、碑石は、右田地区で農道改修により不用となっていた小川の石橋を見つけ、再利用したものといわれている。
『山頭火句碑集』 |
平成20年(2008年)11月17日、「サルビアホテル防府」は山口県第一号ホテル「アパホテル山口防府」としてオープン。 |