三里来て鼠が関に着く。ねずみの関と読まず、ねずが関という。町の入口の手前に、関の戸でも立てたであろうと思われる小高みの丘がある。丘には四五本の古びた赤松がごうごうと風に鳴っておる。丘を一歩過ぎると、弁天岩というこの辺で名高い岩の景色が目の前に展開する。島の上には枝を垂れた松があって、宮島のような小さな鳥居も打ちかける浪の白沫の中に見える。
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昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、鼠が關に立ち寄った。
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鼠が關に立寄る、關の跡は内務省製コンクリートの大きな碑立ちあり、すぐに濱邊で、一山脈の突端、關跡をめぐつて海に入る、出羽越後の境、相當要害の場所であつたらう、
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国道7号を少し戻って、県道44号に入ると、すぐ温海温泉がある。温海川に沿った小さな温泉町だ。
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萬国屋に泊まる。

萬国屋のすぐそばに、与謝野晶子の歌碑がある。

さみだれの出羽の谷間の朝市に傘して売るはおほむね女
昭和10年(1935年)7月1日、与謝野晶子は温海温泉を訪れ、名物朝市風景を詠んだ。他にも「長岡に今朝雨を聞き夕べには出羽の温海の吊橋を行く」等、温海温泉で10首ほど詠んでいる。
国道345号を上っていくと、対向車が来たらどうするのか心配になるような山道になる。とても国道とは思えない。
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道が広くなった所に「しな織りの里ぬくもり館」があった。

お客は誰もいない。若い女の子が一人で織っていた。東京から来たという。こんな山奥で、冬になったらどうするのだろう。
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「しな織りの里」のそばに「関川の戊辰役激戦地跡」という案内があった。

「味方の戦死55人」とある。
ここで慶応4年(明治元年)9月11日から9月27日まで戦われた。関川口は荘内軍最後の激戦地だそうだ。
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こんな山奥でも戊辰戦争が戦われたとは。
国道345号で鶴岡に行く。
気分が悪くなるほど暑かった。
山形自動車道で秋保温泉に戻る。
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