斎藤茂吉は昭和20年4月、郷里山形に戦争疎開したが、門人板垣家子夫の慫慂により翌年1月、大石田町二蔵部兵右兵衛邸の部屋に移り、聴禽書屋と名づけここに安住し、日夜作歌に専念した。かくして最上川を詠んだ「虹の断片」「逆白波」等の名歌が生れた。 昭和22年11月、茂吉は大石田を去るが、この2年間の茂吉と大石田との関係を永く記念するため、茂吉長男斎藤茂太の賛意を得て、板垣家子夫は子等と共にここに茂吉之墓を建立した。 茂吉の墓は東京都青山墓地のほかに分骨による生地上山市金瓶宝泉寺、ここ大石田と3基存在することになる。 大石田の墓は、茂吉晩年の作歌生活ともっとも密接に結びついたものであるから、茂吉の霊はさだめしよろこび鎮まるであらう。これを思ひ門人われらの本懐これに過ぐるものはない。 昭和47年8月13日
門人 結城哀草果謹識 |