元禄2年(1689年)、本間家初代原光が「新潟屋」を開業。元禄2年(1689年)は芭蕉が「奥の細道」の旅で酒田を訪れた年である。以来、本間家は巨大な資産をつくりあげ、「本間さまには及びもないがせめてなりたや殿様に」と俗謡に歌われるほどになった。
文化10年(1813年)、四代光道が藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として別荘を作る。
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鳥海山を借景にした鶴舞園

東屋のそばの老松に鶴が飛んくることから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられたと言われている。
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明治期の手漉きのガラス窓

明治40年(1907年)10月16日、河東碧梧桐は本間家について書いている。
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酒田の本間といえば、我々如き金に縁の薄い者でも名を聞いておる。庄内で誇るに足るものがあるとすれば、今の処まず本間位のものであるという。何代前からかわからぬ家憲というものが厳守されておって、当世には不向きな事が多いそうであるけれども、その家憲を守って、依然として天下の金持たる威信を保っておる点は面白い。
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酒田本間氏別墅
木もなくてしぐるゝをかし外廓
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大正14年(1925年)、東宮殿下がお泊まりになった御座所。

昭和22年(1947年)、本間家別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園」を開放して「本間美術館」を開く。
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雛祭古典人形展

珍しい花が咲いていた。

聞いてみると、菊咲一輪草(きくざきいちりんそう)だという。
菊咲一輪草(きくざきいちりんそう)は菊咲一華(きくざきいちげ)のこと。
茶室「六明廬」

本間美術館前庭に常世田長翠の句碑がある。
本間光道は美杜李と号した俳人でもあった。
日和山公園へ。
2006年〜山 形〜
