推古天皇元年(593年)、第三十二代崇峻天皇の御子蜂子皇子が出羽国に入り、羽黒派古修験道を開祖。 |
天宥法印は上野寛永寺の天海僧正に師事。25歳で羽黒山別当となる。羽黒山中興の祖。 寛文8年(1668年)、天宥は羽黒衆徒と対立して訴訟に敗れ、伊豆新島に流された。在島7年。延宝2年(1674年)、82歳で入寂。 元禄2年(1689年)6月、出羽山を訪れ天宥別当追悼句を詠んでいる。 |
「四睡図」は、豊干・寒山・拾得・虎の4人が気持ちよさそうに眠っている図。 |
明治40年(1907年)10月28日、河東碧梧桐は羽黒山に詣で、天宥について書いている。 |
天宥とは羽黒山の名高い行者で、もとは武藤氏の裔孫であった。元来三山は真言宗であったのを、天宥が専檀で羽黒山だけを天台宗に改めた。そのため月山湯殿山の衆徒と争鬩(そうげき)絶えなかったという。後伊豆に謫(つみ)せられて同処に歿した。
芭蕉が羽黒に上った時はちょうど天宥の訃を伝えた折であったらしく「羽黒山別当執行不分叟天宥法師は行法いみしき聞え有て、止観円覚の仏智方用人に施こしてあるは、山を穿ち石を刻て巨霊の力女禍(禍は女偏)たくみを尽して云々、下官三山順礼の序追悼一句奉るべきよし門徒等頻りにすゝめらるゝによりて云々『其玉や羽黒にかへす法の月』」というておる。三山きっての英邁な僧であったらしい。 |
その昔をしのびて |
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とぼとぼと杉参道をのぼるかな でん六 |
羽黒之句 | 轉法輪内大臣公修公 |
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湯殿之句 | 日野大納言資愛卿 |
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月山之句 | 中納言豐秀卿 |
嘉永4年(1851年)頃、桑折の俳僧一如庵遜阿は「三山碑」を見ている。 |
すゞしさやほの三日月の羽黒山 三山碑 雲のみねいくつ崩れて月の山 芭蕉 かたられぬ湯殿にぬらす袂かな |
実に三山の高詠は今古を貫くの金言にして、誰か此上にやはあるべき、殊に山中の記、象潟にいたるの憤英雅□はさらに感動せられて、悲喜の袂を湿すのみ、さりとてや、むげに黄觜を等閑んも又ほゐなきわざなりけり |
昔は三山順礼土産に「權中納言藤原豊季書」といわれる石刷芭蕉句を買ってきたものだそうだ。 |
大正14年(1925年)8月20日、荻原井泉水は三山巡礼の句碑を見ている。 |
野口という所に、芭蕉の句「すゞしさや」「かたられぬ」「雲の峰」三句を録した大きな句碑が立っていた。「右芭蕉翁三山巡礼之三句御執筆」として、三人の名(三句各別)を書き、「文政八年乙酉四月立之」とあった。
『随筆芭蕉』(月山に登る) |
昭和38年(1963年)8月23日、山口誓子は羽黒山で三山順礼の句碑を見ている。 |
今年、八月二十二日、三度ここに来て。翌日、斎館を出発、月山の頂上を極めようとした。合祭殿を拝し、神々の加護を祈って境内を歩いていると、宝物殿の横の空地に見慣れぬ句碑が立っている。 涼しさやほの三日月の羽黒山 加多羅礼努湯登廼仁奴良須当毛東加那 雲の峰いくつくづれて月の山 芭蕉の三山順礼の句である。芭蕉が三山の順礼を終えて南谷の別院に帰って来ると、別当代会覚阿闍梨が三山の句を求めたので、直ぐ短冊にしたためた。「奥の細道」にそう書いてある。湯殿山の句は、 語られぬ湯殿にぬらす袂かな と読む。 (中 略) この句碑は最近まで、荒沢寺から月山へ登る旧道の、野口にあった。行く人稀になった旧道からこのたび羽黒山へ移されたのだ。私は野口へ行って見る労を省かれた。 文政八年の建立。
『句碑をたずねて』(奥の細道) |
きのふ出羽神社に參詣した時にこんな句が出來た。 俳諧を護りの神の涼しさよ それは芭蕉も昔詣つたことがあるし、私等も新しく御前に額づいたので、自分勝手に俳諧を守つて下さる神様と極めてしまつたのであつた。不圖またこんな句が出來た。 何事も神に任せて涼しさよ 何事も、と云ふ中には立子の飛行機も無事に著くやうにといふことも這入つてゐるのである。
「出羽山行」
俳諧を守りの神の涼しさよ 六月五日・六日 駕籠にて羽黒に登る。 何事も神に任せて只涼し 大杉の又日を失し蔓手毬 六月五日・六日 別に祈願といふものなし。 |
六月五日 病後はじめての旅 羽黒山行 途中山形空 港より 猿羽根山、新庄、草薙温泉、白糸の滝を経て 羽黒山へ 羽の国の植田面らはや梅雨を前 最上川沿ひに旅行く紅うつぎ 不確かな古き記憶に梅雨の滝 最上川沿ひに住む家の竹の秋 最上川ある故植田拓けたる 朴咲いて栃咲いて雨煙りをり
『句日記』(第四巻)
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伊勢の神威 羽黒の霊威 杉の露 |
昭和5年(1930年)10月8日、野口雨情は羽黒山に詣でた。 昭和14年(1939年)6月、荻原井泉水は羽黒山参籠所「斎館」で奥の細道記念講演。 |
奥の細道記念講演を開く、終て直會を饗せらる 聽衆とわたしの木の椅子が一つかつこう これぞ雪間の竹の子の白さ羹(あつもの)にし 酒は朱の盃に、お山のうどは朱の椀に盛り 月山はまだ雪の、これは夕日の菫の花 鳴くはかつこうの、姿の見えるほどな夕日が梢 |