加賀藩二代藩主・利長公(1562〜1614)は関野に新しい城を築き、街づくりを進めて「高岡」と命名、この地で他界されました。 利長公を敬愛された異母弟の三代藩主・利常公(1593〜1658)が三十三回忌までに建立された壮大なお墓です。当時は5万余坪(現在は約1万平方メートル)の敷地に墓守寺を配置、墓碑は豪壮な戸室石の基壇を含めて高さ12メートルの偉容を誇ります。 国宝瑞龍寺・八丁道とともに先代藩主への厚い思慕の念と百万石の力量で造りあげた石の建造物として高い評価を得ております。 |
曹洞宗高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利常公によって建立された寺である。 利長公は高岡城を築城し、この地で亡くなった。加賀百二十万石を譲られた義弟利常はその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして禅宗建築の七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文3年(1663年)までの約20年の歳月を要して完成した。当時、寺域は三万六千坪(約十万八千平方米)で周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。平成9年、山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂、回廊が重文に追加指定となり、江戸時代を代表する禅宗建築として高く評価されている。 |
瑞竜禅寺に詣す。 廻廊やなまり瓦に青嵐 |