魚津市指定文化財 記念物 |
松倉城の麓を流れる角川の河口付近に位置し、旧北陸道に面した交通の要衝に築かれた平城です。築城年代は定かではありませんが、室町時代には松倉城の重要な支城(出城)として機能していました。 天正10年(1582年)、越後(新潟県)を本拠地とする上杉方にとって、越中(富山県)における重要な拠点であった魚津城は、西方より勢力を拡大してきた織田方の柴田勝家、佐々成政、前田利家らの攻撃を受け「本能寺の変」の翌日である6月3日に落城しました。その後、魚津城は佐々氏、次いで前田氏の支配下となりましたが、江戸時代の初めに廃城となり、加賀藩の米蔵や武器庫として利用されました。城の周囲には奉行所や寺院が置かれたことから、新川郡の政治的・軍事的中心として栄えました。江戸時代中頃の「魚津町惣絵図」には、城の本丸とそれを囲む二の丸や堀が描かれており、近年まで堀の一部が残っていました。本丸の部分は現在、大町小学校となっています。
魚津市教育委員会 |
天正11年(1583年)、佐々成政が魚津城を攻略し、支城とする。 天正15年(1583年)、佐々成政は熊本城に移り、魚津城は前田利家の属城になる。 |
上杉謙信魚津城にて詠む |
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もののふの鎧の |
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そてをかたしきて |
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まくらに近き |
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はつかりの声 |
天正の初年(1573年)上杉謙信が越後の精兵を引き連れて越中へ侵入し魚津城外にたむろした時の歌であり、時は初秋、過雁一声(かがんいっせい)鎧のまま野伏した謙信が思わず旅愁をそそられてこの一句を口ずさんだものと思われる句詩 武士のよろいの袖をかたしきて 枕に近きはつかりの声
魚津市教育委員会 |