昭和14年(1939年)6月10日、高浜虚子が「ホトトギス」の日本探勝会で奥黒部を訪ねた際、富山から宇奈月へ向かう列車の中で詠まれた句。 |
六月十日。昨夜、夜汽車にて上野を発す、朝六時八分三日市著、 直ちに黒部鉄道にて宇奈月に行く。延対寺泊り。蓬矢知事東道。 立山の夏かげの皺凡ならず 夏山の剣といふは美(く)はし山 蜃気楼と立山とあり魚津よし |
魚 津 川水を恋ふとはあはれ螢烏賊 旅人に今宵も網の螢烏賊 菜の花のここらも盛りすぎし旅
『野花集』 |
埋没すれバ |
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エネルギーが |
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ホタルのように |
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しんきろうのごとく |
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ゆらめいてやがて |
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やがて生長する |
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魚津市 |
碑石秘境黒部峡谷産閃緑岩 重量10.5トン
岡本眸先生は昭和3年東京に生まれる。本名朝子。師系富安風生・岸風三楼。俳人協会賞・現代俳句女流など賞受賞。紫綬褒章受章。昭和55年より俳誌「朝」を主宰、現在に至る。 眸先生は北陸の風土に親しみ、魚津の美しい自然と人情をこよなく愛されている。この句には先生の魚津への賛美と敬愛の思いがこめられている。海碧く風さわやかなとき眸先生に師事するものが相集い、この句碑を建立する。 |