中禅寺湖より戦場ヶ原への途上
山霧や黄土(はに)と匂ひて花あやめ
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菖蒲(あやめ)が所々に咲いていた。

昭和6年(1931年)7月3日、高浜虚子は戦場ケ原を訪れた。
戦場ケ原
綿菅の中に佇むわれらかな
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お目当ての綿菅(わたすげ)もちらほら咲いていた。

まだ綿菅が群生する時期ではなかったようだ。
白山風露(はくさんふうろ)も咲いていたが、写真はうまく撮れない。
白山風露は鹿に食べられて減っているそうだ。
本当に鹿などいるのだろうか。
珍しい花が咲いていた。

伊吹虎の尾(いぶきとらのお)だ。
小田代原に向かう。
小田代原は鹿よけの柵にスッポリ囲まれている。
ゲートをくぐって小田代原に入る。

どこに花が咲いているのかと思っていると、白山風露の蕾を見つけた。
あちこちに白山風露が咲いていた。

菖蒲(あやめ)の群生も見られたが、辺りを紫に染めるというほどではない。
辺り一面黄色く見えたのは馬の脚形の群生だった。

馬の脚形の群生に混じって山苧環(やまおだまき)が咲いていた。

再びゲートをくぐって小田代原を出る。
戦場ヶ原展望台があった。
よく見ると、鹿がいる。本当に鹿がいるのだ!!。
何枚か写真を撮ってみたが、遠いのでうまく撮れなかった。
赤沼茶屋に向かう。
道で出会った人に「鹿がいますよ。」と言われた。
なるほど、10mほど離れて鹿がこちらを窺っている。

今度は写真が撮れた。
日光湯元温泉へ。
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