昔の旅日記
霧降高原有料道路〜メルモンテ日光霧降〜
駐車場には車がいっぱい。それでも裏見の滝と違って、三脚を手にした素人カメラマンは少ない。展望台は狭いので、三脚で写真を撮っていたら、邪魔になる。滝壺へ下りられたはずだが、現在はなぜか通行止め。 |
明治19年(1886年)7月、正岡子規は旧伊予藩主久松氏の子息定靖に随伴して日光へ行き、霧降の滝を訪れている。 |
霧降瀧 岩ふみて落ちくる瀧を仰ぎ見れば空にしられぬ霧そふりける |
霧降瀧 二句 山の日にコスモス咲けり瀧見茶屋 あな幽かひぐらし鳴けり瀧の空 |
キスゲ平駐車場は標高1,340m。戦場ヶ原の三本松(標高1,394m)よりやや低い程度。 風が強くて、リフトも運休。リフトはいいが、日光黄菅が見当たらない。聞いてみると、「リフトの下に1つだけ咲いている。」と言う。 確かに1つだけ咲いていた。辺り一面に日光黄菅が蕾を付けていたが、まだ硬かった。早すぎたようだ。 |
慶応4年(1868年)の春、日光に拠った旧幕府軍大鳥圭介ら2,000名は、官軍板垣退助の率いる土佐藩隊の攻撃を受けて4月29日日光を撤退、この地六方沢の谷底に仮泊、翌閏4月1日会津に向かった。 |