明治36年(1903年)、辰野金吾に設計を依頼。 大正3年(1914年)4月16日、大隈重信は内閣を組閣。 大正3年(1914年)12月20日、東京駅開業。 大正4年(1915年)、東京ステーションホテル開業。 大正10年(1921年)11月4日、原敬は関西での政友会大会に出席するため東京駅に到着直後、心臓を刺され、ほぼ即死。享年66。 昭和5年(1930年)11月14日、浜口雄幸が東京駅で統帥権干犯に憤った右翼青年によって狙撃された。浜口雄幸が乗るはずの特急「つばめ」に乗り、広田弘毅は駐ソ大使として赴任する。 昭和20年(1945年)5月25日、空襲により屋根等が焼失。 |
左上は「大隈重信閣下」、右上は「故公爵伊藤博文」、右下に「子爵井上勝君像」。井上勝は日本の鉄道の父と呼ばれる。 |
松本清張は、たびたび209号室(現在の2033室)に宿泊した。当時の客室からは、現在は見えない駅のホームを見渡すことができたそうだ。『点と線』では東京駅13番線ホームから15番線ホームを見渡せる時間帯“空白の4分間”がトリックに使われている。 |
鎌倉の方に行く横須賀線は十三番ホームから出る。電気時計は十八時前をさしていた。「ありがたい。十八時十二分にまに合うよ」と安田は言った。だが、十三番線には、電車がまだはいっていなかった。安田はホームに立って南側の隣のホームを見ていた。これは十四番線と十五番線で、遠距離列車の発着ホームだった。現に今も、十五番線には列車が待っていた。つまり、間の十三番線も十四番線も、邪魔な列車がはいっていないので、このホームから十五番線の列車が見とおせたのであった。
松本清張『点と線』 |
平成15年(2003年)、東京駅丸の内駅舎が国の重要文化財に指定。 平成18年(2006年)、駅舎の保存・復原工事のためホテルを一時休館。 平成24年(2012年)、ホテルがリニューアルオープン。 |