2022年東 京

桜田門〜桜田門事件〜
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二重橋から桜田門へ。

渡櫓門


外桜田門

国指定重要文化財

桜田の名は、この地が古代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し、江戸の主要道が通過する場所でした。徳川家康入国直後の絵図には「小田原口」と記載されています。門周辺の石垣は、慶長19年(1614年)真壁藩(現在の茨城県)藩主浅野長重によって築かれ、寛永年間(1624〜1644)に門が建設されました。門の拾遺には。有力外様大名の屋敷が多くありました。

万延元年(1860年)の桜田門外の変は、彦根藩主で大老の井伊直弼が屋敷から登城中に水戸浪士に襲撃された事件です。

大正12年(1923年)の関東大震災で門が壊れましたが、再建され現在に至っています。

千代田区

高麗門


銀座食堂にて夕飯を食し家に歸らむとするに、尾張町四辻に人多く佇立みて、朝日新聞社樓上に仕掛けたる電光報知を見る、此日正午頃韓人爆彈を櫻田門外に投じたる事件、及び犬飼(ママ)内閣總辭職の事なり、

『斷腸亭日乘』(昭和7年1月8日)

 翌9日、天皇自ら「時局重大なるが故に留任せよ」と命じて、犬養内閣は一転して留任することになった。

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