明治45年(1912年)7月30日、明治天皇崩御。 大正元年(1912年)9月13日、乃木希典陸軍大将と妻静子は天皇に殉じて自刃。 大正12年(1923年)11月1日、乃木神社鎮座祭。 昭和20年(1945年)5月25日、空襲で本殿以下社殿はことごとく焼失。 昭和37年(1962年)9月13日、祭神50年祭に併せて復興された。 |
御 製 教 育 いさをある人を をしえの親にして おほしたてなむ やまとなでしこ |
明治41年1月に御祭神乃木将軍が学習院院長に任命された頃に生徒心得のために明治天皇より賜った御製であります。乃木将軍のような国家に勲功のある立派な人を学習院院長にして、大切な皇国の未来を担う子弟の教育に當たらせたいという明治天皇のお気持ちがこめられています。 この碑は当時の御歌所所長高崎正風氏が謹書したものを刻んだものであります。 |
玉木文之進先生は、幕末維新に際し、多くの偉人傑士を輩出した長州萩の学者であり、松下村塾の開祖です。吉田松陰先生は、玉木先生の甥に當り、その村塾を受継いで幾多の国士を養成された大教育者であり、国事に仆れた烈士であります。乃木将軍は松陰先生の弟弟子として玉木先生に薫陶せられ、松陰先生を深く敬い、之が人格形成の基になったものと拝察致します。依て乃木神社戦災復興竣成を機に、萩の松陰神社より二柱の御分霊を請受け、境内に鎮祭した縁の神社であります。 |