第4歌集『路上』は明治43年(1910年)1月から同44年5月までの作約500首を収録。明治44年(1911年)9月12日発行。 |
かのをとめ顔の醜し多摩川にわか草つみに行かむとさそふ |
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春あさく藍もうすらに多摩川のながれてありぬ憂しやひとりは |
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多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし |
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かへるさは時雨となりぬ多摩川の川辺の宿に一夜寝しまに |
明治45年(1912年)4月27日、若山牧水は太田喜志子に激しい手紙を書く。 |
直接に言へば、親をお棄てなさい。兄弟をお棄てなさい。唯つたひとりのあなたとおなりなさい、と斯ういふのです。 |
この歌は若山喜志子(明治21年5月28日〜昭和43年8月19日)の歌集『芽ぶき柳』の一首です。 |
これは若山牧水の長男若山旅人(大正2年5月8日生)が多摩川を詠んだ歌です。旅人は昭和22年9月立川市富士見町2丁目に移り住み、その後父母の遺志を継いで『創作』を主宰し、作歌活動にいそしみました。 |
この句は中村草田男(明治34年7月24日〜昭和58年8月5日)が昭和8年12月3日、ホトトギス武蔵野探勝会の吟行会が普済寺で催された時に根川を詠んだものです。
昭和3年9月7日 立 川 市 |
水原秋桜子(明治25年10月9日〜昭和56年7月17日没)俳誌『馬酔木』を主宰。 この句は第8句集『蘆刈』の中のお気に入りの一句で、昭和14年の作です。 戦前の立川には、まだ赤松林や雑木林があり、武蔵野の風景がありました。こんな絵画美を詠んだ俳句をたくさん残され、すぐれた俳人を門下に育てられました。
平成13年9月8日 立 川 市 |