牧野富太郎先生は、大正15年都塵を避けて、この地大泉に居を構えられ、我が国の植物学会に陸続として高説を発表されました。 この間、当時なお武蔵野の抒情を有していた大泉野外、四季とりどりの花卉の移り変りをも楽しまれ又、園内には奇草珍木を植栽して、その生育に多大の愛着を示された。 昭和32年、先生はこの邸内で94才の天寿を全うせられたが、この学問の聖地をいつまでも守り、永く後世に伝え残すため、ここに旧邸を牧野記念庭園とし、文化遺跡として広く公開することになった。 なお、牧野先生蒐集のサク(※「にくづき」+「昔」)葉は別に東京都立大学牧野標本館に整理保管され、学究の用に供せられている。
練馬区 |
昭和32年1月18日、牧野博士は逝去されました。 東京都は、博士の住居跡を「牧野記念庭園」として保存するという意志を、博士の没後わずか3ヶ月たらずという短期間で表明しています。 これは遺族代表である博士の次女・牧野鶴代氏から、東京都知事宛に植物標本と樹木の寄付申し込みがなされたことから始まっています。博士の没後にこのような短期間で意志決定がなされたことは、名誉都民であった博士の人徳の証と言えるでしょう。 その後、昭和33年4月ころに東京都による庭園整備が終わり、その管理を含め練馬区からの強い移管の要請により、同年10月1日に練馬区への移管が正式に行われ、同年12月1日に開園しています。 現在、来園者は、区民はもとより全国各地から訪れており、平成9年には文化財として練馬区登録名勝に登録されています。 また、平成20年の開園50周年を契機とし、平成21年には国の登録記念物(遺跡および名勝地)に登録、さらに老朽化した施設の更新と展示品保存環境の向上を目的とした大規模な改修事業を行い、平成22年、新たに開園し、今日に至るものです。
練馬区 |
家守りし妻の恵みや我が学び 世の中のあらむかぎりやすゑ子笹 |
寿衛子夫人は、借金だらけの生活苦に耐えながら、好きなことひとつせず、常に牧野博士の研究を第一に考え尽してきました。博士の偉業は夫人の内助の功の賜物と言われています。 博士は、昭和2年に発見した笹の新種に「スエ子笹」の和名と、Sasa Sueko ana Makinoの学名を付け夫人の名を永久に世界にのこしました。翌年、病名不明のまま他界した夫人のために右の二句を詠んでいます。 谷中の墓地には、スエ子笹と共にこの2句を刻んだ墓碑が建っています。 |
この石碑は、昭和60年牧野富太郎博士展に際し、日原勇氏より寄贈されたものです。 |
牧野記念植物園 二句 命あり梅雨の翳もつスエコザサ せんだん咲く古里の古驛のごと
『酒中花』 |
2023年春、牧野富太郎博士をモデルに朝の連続テレビ小説「らんまん」が放送される。主演は神木隆之介さんだそうだが、知らない。 |