2022年東 京

首尾稲荷社〜尾崎紅葉生誕の地〜
indexにもどる

JR山手線「浜松町駅」下車。

南口東西自由通路に旧芝離宮恩賜庭園展望所がある。


国指定名勝旧芝離宮恩賜庭園

 小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつです。典型的な「回遊式泉水庭園」で、池を中心にした地割りと石割は秀逸です。この地はかって海面でしたが明暦(1655〜1658)の頃に埋め立てられ、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭に、これを「楽壽園」と命名しました。

 その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4年(1871年)に有栖川宮家の所有になりましたが、同8年(1875年)に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正12年(1923年)の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌13年(1924年)1月、昭和天皇の御成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同4月一般に公開されました。昭和54年(1979年)6月に国の名勝に指定されています。

東京都港区芝大門に首尾稲荷社がある。


 港区指定文化財

旧跡尾崎紅葉生誕の地

 『金色夜叉』などの小説で有名な尾崎紅葉(本名徳太郎)は、慶應3年12月16日、芝中門前2丁目25番地(現在港区芝大門2丁目7番4号)にあった首尾稲荷社のそばの家で、伊勢屋こと牙(け)彫り師の尾崎谷斎(惣蔵)の長男として生まれました。4歳のとき母を失い、芝神明町8番地(現在港区浜松町1丁目18番14号)の母の実家荒木家に養われることになるまでこの地に住みました。

 17歳の時、日本最初の文学団体「硯友社」を結成して、近代文学の先駆けとなり、18歳の夏からは増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人を号しました。明治36年(1903年)10月30日、没。35歳。小説集には『芝肴』の題をつけ、また、『男心は増上寺』と題する短編もあり、終生出身地の気風をよく現わした人物でした。墓も港区の青山霊園にあります。

   囀りの下に小さき祠かな   紅葉

港区教育委員会

2022年東 京〜に戻る