江戸中期の享保元年(1716年)、旧徳川家出身の吉宗公が八代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、幕府の氷川明神への尊信は高まり、同14年(1729年)吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現地に社殿を造営しました。翌15年(1730年)4月26日にが一ツ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました、以後十四代将軍家茂(いえもち)公までの歴代将軍の朱印状が下付されました。
明治元年、明治天皇より東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京十社」の1社に数えられております。
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社 殿

安政6年(1859年)7月、勝海舟は赤坂本氷川坂下に移り住む。
大銀杏

大正8年(1919年)11月1日、永井荷風は赤坂氷川神社の境内を通った。
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赤坂氷川町の賣家を見る。其の途次氷川神社の境内を過ぐ。喬木鬱蒼たること芝山内また上野などにまさりたり。市中今尚かくの如き幽邃の地を存するは意外の喜びなり。
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大正8年(1919年)11月12日、永井荷風は赤坂氷川神社の境内を歩く。
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重て麻布市兵衞町の貸地を検察す。歸途氷川神社の境内を歩む。岨崖の黄葉到處に好し。日暮風漸く寒し。
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梅が咲いていた。

乃木公園へ。
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