2010年東 京

東御苑〜諏訪の茶屋〜
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大手門から東御苑へ。


大手門


二の丸雑木林


二の丸庭園


 江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍の徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。

 現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。

菊葉文化協会

諏訪の茶屋


 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在の御所等のある一帯)にありました。

 この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、皇居東御苑の整備に当りここに移されました。

梅林坂


 梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂です。

 文明10年(1478年)太田道灌が天神社をまつり、数百株の梅を植えたので梅林坂の名が付いたといわれています。

 現在は50本の紅白の梅が植えられおり、12月末から2月まで花が楽しめます。

平川口御門の内にあり。文明十年の夏、太田持資或日、一室にありて午睡の中(うち)霊夢を感じ、翌日菅公親筆の画像を得てこゝに勧請し、梅樹数百株を栽う。よつて梅林坂の号ありと云ふ。(その菅神に宮は、今糀町平川町にある平川天満宮これなり。三巻の初め、平川天神の条下につまびらかなり)。平河は往古(そのかみ)上下とふたつにわかれてありし由、小田原北条家の古文書に見えたり。(本所の報恩寺、赤坂の浄土寺等の寺院、昔はこの地にありしとなり。)


天守台


 最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1675年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は、再建されませんでした。

富士見櫓


 「櫓(やぐら)」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で焼失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。

本丸の紅葉


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