昭和9年(1934年)12月2日、高浜虚子は武蔵野探勝会の東京名所遊覧で二重橋へ。高浜年尾・星野立子等同行。 |
宮 城 「……皆様この正面に御注意下さい……よくお写真や絵葉書などにあるお橋は二重橋ではありません。あれは西の丸大手橋と申します。あの奥の上の方にある黒い鉄橋が昔は二重(ふたへ)橋と申した二重橋でございます……正面の櫓が伏見櫓、はるかに森の中に見える大きな櫓が、今から約四百七十余年前太田道灌が築かれました富士見櫓……奥深く木がくれに少し見えてをります青いお屋根は皇居近くの御建物と承つて居ります……。」 「……ではこれから記念のお写真を撮つて楠公の銅像に参りませう……。」一同皇城とお濠の枯柳を背景に写真を撮る。宮城前の広い芝生には、たんぽゝが返り花をぽつぽつ点じてゐた。
『武蔵野探勝』(東京名所遊覧) |
ここは、皇居の正門に当たります。手前に見える橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。後方に、現存する数少ない江戸城の櫓の一つである伏見櫓が見え、その右手には、樹木に隠れて見えませんが、宮殿があります。 正門鉄橋は、かつては木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため、二重に架けられた橋という意味で「二重橋」と呼ばれます。 しかし、正門石橋と正門鉄橋の二つの橋を総称して「二重橋」と呼ぶ人も少なくありません。 これらの橋は、天皇陛下が国会開会式などのため外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されますが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の方々も渡ることができます。正門石橋と正門鉄橋が重なり、その奥に伏見櫓が見える皇居外苑からの眺めは皇居を象徴する景色として親しまれています。 |