当薬王寺は、神亀3年(726年)、行基菩薩か聖武天皇の勅願を受け、この地に巡錫し、一寺を建立された。弘仁6年(815年)、弘法大師か42歳のとき、平城天皇の勅令によつて本尊薬師如来を刻んで開基なさった。 当寺は、厄除根本御祈願所として、全国にその名を知られている。また、高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨上皇・淳和天皇は厄除の祈誓を願われ、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在せられた。そして後嵯峨天皇、寛元元年当山の伽藍の再建をして、仁助親王が落慶の法筵に入られたと伝えられている。
四国第23番霊場 別格本山 薬王寺 |
石段を厄年の男女が織るように上下しており上る者は一段のぼるごとに一枚づつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。
司馬遼太郎著「空海の風景」より |
おのおのの尋ねている法月弦之丞でござるが… 同心衆が来るのを待ち設けていた遍路が佇立している 「今この境内で召捕られたふたりの縄付を拙者の手へ渡してもらいたい」 「文句をいわずに弦之丞を召捕ってしまえ」 |
吉川英治の代表作『鳴門秘帖』剣山の巻で遍路の歌と題して薬王寺を舞台に活劇を見せる傑作の一段である ここ薬王寺は文学上の阿波の名所として全国に知られている |
大正12年(1927年)3月1日、海部郡由岐町安部に生まれる。 |
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昭和24年(1929年)10月、松苗社宮下歌梯に師事。 |
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平成9年(1997年)11月、由岐俳句会建立。 |
昭和14年(1939年)11月3日、種田山頭火は薬王寺に参拝している。 |
十一月三日 晴、行程八里、牟岐、長尾屋。 老同行と同道して、いつもより早く出発した。 峠三里、平地みたいになだらかだったけれど、ずいぶん長い坂であった、話相手があるので退屈しなかった、老同行とは日和佐町の入口で別れた(おじいさん、どうぞお大切に)。 第二十三番薬王寺拝登、仏殿庫裡もがっちりしている、円山らしい、その山上からの眺望がよろしい、相生の樟の下で休憩した、日和佐という港街はよさそうな場所である。
『四国遍路日記』 |