当山は人皇四十五代聖武天皇の勅願寺にして天平年間に行基菩薩が光明皇后の御安産の念持仏として勅命により閻浮壇金をもって1寸8分の本尊「延命地蔵尊」――世に之を子安の地蔵尊と称し奉る――をお作りになり伽藍を建立開基されました。伽藍建立の地を卜するにあたり、1羽の自鷺が何処ともなく飛び来たりて、九ツ橋(現在の自鷺橋)の上に止まり、行基菩薩に仏天の暗示として霊城を示したと伝えられています。弘仁6年(815年)に弘法大師が四国霊場御開創のおり当山に御留錫なされ、行基菩薩のお作りになりました1寸8分の小像のみにては後世に紛失のおそれありとして、自ら一刀三礼6尺の大像を刻まれ、小像をその御胸に秘収安置され「立江寺」と号し、第19番の霊場とされました。なお、当山は元、清水奥谷山麓(現在地より西へ500メートル現在の立江寺奥の院)にあった巨刹でしたが、天正年間に長曽我部の兵火にあい、ご本尊を残して灰燼に帰しましたが、当時の藩主蜂須賀家初代蓬庵公の御帰信が篤く、現在の地に移転再興され、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と称され、西国巡礼御詠歌集に高野山・善光寺などとならんでとりあげられている程、全国の善男、善女の信仰の篤い名刺です。 |
昭和14年(1939年)11月2日、種田山頭火は立江寺に参拝している。 |
十一月二日 快晴、行程八里、星越山麓、あさひや。 早起早立、まっしぐらにいそぐ、第十八番恩山寺遥拝、第十九番立江寺拝登。 野良で野良働きの人々がお弁当を食べている、私も食べる、わがままをつつしむべし。
『四国遍路日記』 |