昭和6年(1931年)10月28日、与謝野寛・晶子夫妻は鳴門の渦潮を見る。 |
月ありぬ老先生とたをやめの船して去りしその夜の鳴門 月早く行けり鳴門の潮に馴れ滑り流れし船のここちに 海の月しろく淡路の山の丈みじかくなりぬ夜半の鳴門 月の絲波の絲縒(よ)り淡路より大毛の岬ににひとりぞする 鳴門なる瀬戸の大毛のみさきをば十七日の月ぞ歩める 山と水空も鳴門のあけぼのは藍むらさきの外のこと無し
「緑階春雨」 |
昭和36年(1961年)7月、阿波野青畝は鳴門海峡へ。 |
ローリングピッチングあり月跳び跳ぶ 鳴門海峡。録2句。 観潮船淡路寄りにはた阿波寄りに
『甲子園』 |
昭和43年(1968年)、山口誓子は鳴門の渦潮を見ている。 |
鳴 門 生きて吾在り渦潮の中に在り 歸らなんいざ渦潮の中を出て
『一隅』 |
阿波の渦淡路の渦と組討す 左巻右巻の渦船に触り 親子渦去就遑もなかりけり 大潮の擂鉢となる渦の笛
阿波野青畝『除夜』 |
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