昔の旅日記

国道139号〜白糸の滝〜
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 天気がいいので、富士山を一周して強羅温泉に向かおうと思うが、カーナビは「国道139号で河口湖に戻り、東富士五湖道路を行け。」と言う。

カーナビを無視して、本栖湖から国道139号で富士宮に向かう。


国道139号を左折して、県道75号清水富士宮線を行く。


 一面の薄(すすき)の向こうに富士山が見えたかと思うと、富士山を取り巻く雲の下に入ってしまったのか、富士山が見えなくなる。

「白糸の滝」の標識があったので、行ってみる。

この上にいかなる姫かおわすらんおだまき流す白糸の滝

この歌は源頼朝が詠んだと伝えられています。

歌は歴史的仮名遣いで書かなくてはいけない。

滝の上から写真を撮る。


一部は紅葉している。

 昭和33年(1958年)4月13日、身延山にて草樹会、裸子会。14日、高浜虚子は白糸滝を見る。

自動車にて白絲の瀧に行く。

   瀧荒れて茶屋の女房の不機嫌な   虚子

「身延行」

白糸の滝の陰晴常ならず

      四月十三日 草樹会。裸子会。孰れも身延山にて催す。身
      延行にて得たる句出句。四月十四日、白糸滝を見る。


下に降りて、写真を撮る。


高さ約20m、幅およそ200m。

 瀑布は西の那智と東の華厳とが両大関なるべし。富士の裾野の白糸滝は、高さ数丈に過ぎざれども、幅は百八間に及ぶ。幅の広きことは日本一也。


滝壺の近くで、写真を撮る。


 昭和38年(1963年)5月5日、星野立子は富士駅からタクシーで白糸滝へ。

 富士駅にて渡井夫妻、喜代美さん達大勢の出迎えを受け、タクシ
ーで白糸滝へ、先年行った時と大分趣が変っていて大変賑やかにな
っている。何階建かの鉄筋の建物が目立つ。その前の丘に父の句碑
があった。

花見にと馬に鞍置く心あり   虚子

 つつじを記念に植える。雨はやみなく降っていた。

 滝へ降りてゆく。先年と違った道である。芋露さんがすべて案内
して下さる。卯の花が美しい。滝茶屋に休んで句を作る。

月育ちゐる筈明日は立夏なり

透きとほる暮春白糸滝の水

滝音にとりかこまれて今一人

滝しぶき浴び霧雨に濡れ遊ぶ

滝水の流れにざぶと入り歩く

滝風に吹かれ霧雨うづ巻きぬ


水がきれいだ。日本名水百選に指定されている。

 絶壁の全面に大小数百の滝が玉すだれのように幾千条の絹糸となって流れ落ちる。



富士山の雪解け水が伏流水となって湧き出したもの。

平成2年(1990年)、白糸の滝は日本の滝百選に選定されたそうだ。

年間200万人もの観光客が訪れる観光スポットである。

強羅温泉へ。

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