その昔裏山の崖崩れで出て来たものを山門のところに設置。以前は裏向きに建てられていたようだ。 |
碑陰に「寛政七乙卯年十二月廿四日遷化 門人造立之」とある。いかなることであろうか。 |
かつて佐鳴湖の水は当山山門のすぐそばまで来ておりました。対岸の古松の上に掛かる仲秋の名月と、湖面に揺れる月光の景色が見られた当寺は、湖岸随一の観月景勝の地として親しまれ、多くの文人墨客がたびたび歌会を催したということです。 享保14年(1729年)賀茂真淵は杉浦国頭、柳瀬方塾ら8人でこの臨江寺で観月の歌会を催し、春栖(当時の雅号)の名で古寺月と題し次の歌を詠んでいます。 小夜ふけて松風高き山寺の月にうき代の塵も曇らず(右方歌碑) 又、五升庵蝶夢(遠江の記の著者)は天明6年(1786年)富士を見るために遠江に足を運び当寺にひと月程逗留しました。ある雨あがり、当寺から佐鳴湖を見た蝶夢は、東岸の三ッ山から朝日が昇りその左方遙かに雪をかぶった富士山が見えたことに感激し次の句を詠んでいます。 むら松やみどり立つ中にふじの山(左方句碑) 此の歌句碑は竹村照治氏の終始多大の斡旋と臨江寺檀徒瀧本安治、瀧本瀧吉、土屋筧蔵、内藤二三次の4氏の心からなる協力援助の下に進められ昭和30年8月に建立されたもので、碑に刻まれている字は真淵翁、蝶夢師の真筆をそのまま拡大転刻したものである。 |
昭和41年(1966年)12月、山口誓子は佐鳴湖を訪れている。 |
佐鳴湖に下りゐて鴨は畝をなす
『一隅』 |
昭和46年(1971年)12月3日、高浜年尾は佐鳴湖へ。 |
十二月三日 ホトトギス吟行会前夜句会 佐鳴湖西遠 荘、呉竹荘泊り 鴨の陣遠見は黒き影ばかり 波まぶし湖心の鴨の陣見えず 風波に鴨の陣敷く湖心かな 注連作り繩綯ふわざをくり返し |