雲かかるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月 |
雲のかかる佐夜の中山を越えたと、都の子供らに伝えておくれ、有明の月よ。 |
旅寝するさやの中山さよなかに鹿も鳴くなり妻や恋しき |
心細い旅寝のさやの中山で、ま夜中に牡鹿の鳴き声が聞えてくるよ。谷向こうの雌鹿が恋しいのであろうか。 |
甲斐が嶺ははや雪しろし神無月しぐれてこゆるさやの中山 |
遙か甲斐の白根の峰々は雪で白い。今、神無月(10月)、時雨の中、さやの中山を越えるとこだ。 |
東路のさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ |
東国へ行く人がきっと通るのが佐夜の中山である。中山のなかといえば、なかなかに(なまじっか)どうしてあの人に思いを掛けたのであろう。 |
紀友則は『古今和歌集』の撰者。『小倉百人一首』の「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」で知られる。 |
ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れね人をさやの中山 |
旅に出て耳にするここ佐夜の中山の山風の音は、都で聞いたのとは似ても似つかない。このように都もとおざかったのであるから、いっそ都の人のことなど忘れてしまえよ。 |
藤原家隆は『新古今和歌集』の選者の一人。『小倉百人一首』の「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」で知られる。 |
あづまぢのさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をや尽くさん |
東国への道中の佐夜の中山よ、はるか遠くここまで来たが、はっきりとも見えない遠い旅の空の下で生涯を終えることであろうか。 |
壬生忠岑は『古今和歌集』の撰者の一人。『小倉百人一首』の「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし」で知られる。 |
甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横ほり臥せるさやの中山
『古今和歌集』(読人不知)
旅ごろも夕霜さむきささの葉のさやの中山あらし吹くなり
『新後撰和歌集』(衣笠内大臣) |
行路ノ初雪といへる心をよみ侍ける
八条前太政大臣
夜な夜なの旅寝のとこに風さえてはつ雪ふれる佐夜の中山 |
かひかねをさやにも見しかけゝれなくよごほりくやるさやの中山 此歌けゝれなくとよめるは心なくといへることばなり。かの甲斐の國の風俗なり。よごほりくやるとは事のほかに高く長き山なれば、よごほりにはゞかりて甲斐のしらねをふたげて見せねばよめるなり。くやるといへること駿河の國のふせりといへることばなり。此さやの中山は遠江の國と駿河の國との中にある山なり。 |