この像は「山吹伝説」にちなんだ鷹狩りの様子を表しています。 太田道灌は、扇谷上杉家の武将。1457年、江戸城を築城、岩槻城を修築し、江戸、河越の防衛にあたり、扇谷上杉家の伸張に力を尽したとされています。道灌の名声は、関東では主家をも凌ぐものとなり、それを危惧した扇谷定正によって暗殺されてしまいました。 「山吹伝説」とは、ある日、道灌が放鷹に興じていたところ、にわかに雨が降ってきたので、近くの農家に立ち寄り、蓑を借りようとしました。しかし、その家の少女が道灌に捧げたのは、蓑ではなく一輪の山吹と「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」(後拾遺集・中務卿兼明親王)の和歌。道灌が怒って、近臣にそのことを告げたところ「娘は、蓑一つないことを花と歌とに託したのだろう」と答えたそうです。道灌は、それから和歌の道にも励むようになったと言われています。 西日暮里駅から見える高台にある西日暮里公園には、道灌が眺めの良さを利用して斥候台(ものみ)を築いたといわれ、これが「道灌山」の由来になった説が有力とされています。 |