下 町荒川区
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サンパール荒川〜晨(あした)の像〜

都電荒川線荒川区役所前下車。

荒川区荒川1丁目に「サンパール荒川」がある。

サンパール荒川の正面入口に晨(あした)の像があった。


朝倉響子制作。昭和49年度設置。

意外に小さな像だった。

正面入口の階段を上がると、「フェニックスの翼」があった。


澄川喜一制作。平成4年度設置。

斜めから見ないと、よく分からない。


2階に「風を切る」があった。


東京藝術大学修了制作作品
第14回荒川区長賞受賞

高見英里奈制作。令和元年度設置。

風を切り、新しい世界へ
変わりゆく己の姿と共に

5階の庭園入口に「海鳥と少年」の像があった。


淀井敏夫制作。昭和49年度設置。

太田道灌像「回天一枝」(作者:橋本活道氏)


 この像は「山吹伝説」にちなんだ鷹狩りの様子を表しています。

 太田道灌は、扇谷上杉家の武将。1457年、江戸城を築城、岩槻城を修築し、江戸、河越の防衛にあたり、扇谷上杉家の伸張に力を尽したとされています。道灌の名声は、関東では主家をも凌ぐものとなり、それを危惧した扇谷定正によって暗殺されてしまいました。

 「山吹伝説」とは、ある日、道灌が放鷹に興じていたところ、にわかに雨が降ってきたので、近くの農家に立ち寄り、蓑を借りようとしました。しかし、その家の少女が道灌に捧げたのは、蓑ではなく一輪の山吹と「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」(後拾遺集・中務卿兼明親王)の和歌。道灌が怒って、近臣にそのことを告げたところ「娘は、蓑一つないことを花と歌とに託したのだろう」と答えたそうです。道灌は、それから和歌の道にも励むようになったと言われています。

 西日暮里駅から見える高台にある西日暮里公園には、道灌が眺めの良さを利用して斥候台(ものみ)を築いたといわれ、これが「道灌山」の由来になった説が有力とされています。

小鹿尚久の「ふるさと」は見られなかった。

荒川区役所へ。

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