東京都指定名勝 |
区立洗足池公園は、清水窪湧水などを主な水源とする淡水池の佳景で古くから良く知られています。「洗足」の名は日蓮聖人が手足を洗ったという伝承にちなむと言われています。 江戸時代には数多くの文芸作品や絵画作品に取り上げられ、浮世絵師・歌川広重が描いた「名所江戸百景・千束の池袈裟懸松」はことに有名です。 明治23年頃には、晩年の勝海舟が東岸に別荘「洗足軒」を築き、後に夫妻の墓地も造られました。公園近くの国登録有形文化財「旧清明文庫」は、昭和初期に海舟の遺蹟の保存などを目的に建てられ、現在は区立勝海舟記念館として活用されています。 昭和5年に都市計画法に基づく「風致地区」に指定されると、同8年には地元有志が社団法人洗足風致協会(現公益社団法人洗足風致協会)を設立し、現在まで積極的に環境保全活動を続けています。池の周辺には『平家物語』に登場する源頼朝の愛馬「池月」の伝承がある千束八幡神社のほか、国登録有形文化財の「妙福寺祖師堂(旧七面大明神堂)」、厳島神社のある弁天島、三連太鼓の形状が印象的な池月橋、樹林帯の桜山・松山があり、23区内でも有数の散策地として親しまれています。
東京都教育委員会 |
創建の年代は、不詳なれど、古来より洗足池の守護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の池中に没してしまっていた。その昭和の初め頃より幾多の人々の夢枕に辨財天が出現せられ、このことが契機となって御社殿建立の話が具体化し、多くの人々の尽力によって、昭和9年7月洗足風致協会の手により築島遷宮の運びとなり、以来今日に至る間、多くの参拝者に、右御神徳を授けられている。 |
治承4年(1180年)源頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣の味方の参加を待った。 或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映る月光の輝くように美しかった。これを池月と命名し頼朝の乗馬とした。 寿永3年(1184年)有名な宇治川の合戦に拝領の名馬池月に佐々木四郎高綱が乗り、磨墨に乗った梶原源太景季と先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いた。と、史書に伝えられている。 ここに名馬池月の銅像を造り、この名馬池月発生の伝承を永く後世に伝えようとするものである。
社団法人 洗足風致協会 |