下 町大田区
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千束八幡神社〜池月発祥伝説〜

洗足池公園に千束八幡神社がある。

鳥 居


千束八幡神社


池月発祥伝説の由来

 池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。

 治承4年(1180年)8月頼朝、相洲石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤、上総介広常、等の参向を得再挙して鎌倉に向ふ途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪族の参陣を待つ、折からの皓月池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向って飛来り嘶く声、天地をふるはすばかりであった。

 郎党之を捕へて頼朝に献ずるに馬体あくまで逞しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであつたため之を池月と命名して自らの料馬とする。

 頼朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと伝ふ。士卒之を伝へて征旗を高く揚げ歎声やまざりしとか。

 当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。寿永3年(1184年)春頼朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々頼朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。

 池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。

 この池月の誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。

 古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、又町会名にもなってゐたが、今はない。

遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の亡失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。

 尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。

 氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に託したものであり毎年9月の祭日に奉納されている。

 池月の蹄の音か揆(ばち)の冴え

千束八幡神社
洗足風致協会

池月橋の桜


東急池上線洗足池駅


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