浅草寺は草創以来焼失と再建を繰り返した。
慶安2年(1649年)、三代将軍家光によりに再建され、明治40年(1907年)「国宝」に指定された。
関東大震災も無事に免れたが、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で「国宝浅草寺本堂」は焼け落ちてしまった。戦後の昭和26年(1951年)復興に着手、昭和33年(1958年)に再建。
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浅草寺五重塔

堤上に佇立みて淺草の方を臨むに、花川戸の人家地震の後皆假小屋なれば、觀音堂二王門及び五重の塔よく見ゆ。五重塔は上より三層目の欄干まで見ゆるなり。觀音堂の大屋根こなたの堤より眺望すれば雄大広壯言ふばかりなし。
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戦災により焼失。
昭和48年(1973年)11月1日、再建。鉄筋コンクリート造りである。
五重の塔の雪うつくしく段々につもりけるかなと眺めてぞゐし 白秋
元禄9年(1696年)、天野桃隣は『奥の細道』の跡をたどる旅を終え、浅草寺に参詣して句を詠んでいる。
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浅草に入て、はや江戸の気色、こゝろには錦を着て編綴(へんてつ)の袖を翻し、観音に詣ス。
○手を上ゲて群集(ぐんじゆ)分ケたり草の花
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明和元年(1764年)12月16日、内山逸峰は浅草寺で歌を詠んでいる。
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明る十六日、浅草の観音にて、
たがつけし誓ひ千尋の海よりも深きめぐみの名をばあさくさ
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明和8年(1771年)5月1日、諸九尼は浅草寺に参詣している。
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浅草の観音にまうでしに、行かふ人のを(お)し合ひたるさま、聞しよりまさりてにぎわ(は)し。
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安永9年(1780年)4月12日、蝶夢は浅草寺に参詣している。
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浅草寺は、参詣の貴賤とろとろと水の流るゝごとし。此国に昔よりおはします観世音にて、霊験の事は、かけても申さじ、この年月の火にも焼で、御堂物ふりにたり。「火不能焼」のちかひなるか。
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文化6年(1809年)3月、優婆塞菜窓菜英三匠句碑建立。
