下 町文京区

春日局之像〜春日通り〜
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JR山手線御徒町駅下車。

春日通りを歩く。

旧町名案内

 湯島切通町
(昭和40年までの町名)
 むかしから、奥州街道の脇道としてわずかばかりの町屋があった。

 江戸時代になって、旗本などの拝領屋敷ができ、元禄年中(1668〜1704)から町並屋敷となった。南側に切通坂があるので、湯島切通町とした。

 北側の隣接地は、徳川家康 江戸入り早々に、四天王の一人榊原康政の屋敷となった。明治維新後、西郷隆盛の腹心桐野利秋が一時期所有した。後に三菱初代岩崎弥太郎の所有となり、戦後物納されて、最高裁判所の司法研修所などとなった。

 切通坂は、『湯島の白梅』の“蒼瓦斯灯境内をでれば本郷切通し”で全国的に知られた。

文京区

 湯島切通坂町
(昭和40年までの町名)
 湯島天神の西側、春日通りを隔てて南北にあった。南部はもと棟梁屋敷といい、北部は切通片町と称した。

 棟梁屋敷は、大工棟梁十人の拝領地である。徳川家康の江戸入りのとき、遠州浜松から来て、江戸城修築工事に従事した者の子孫が、享保12年(1727年)町屋とした。この頃は松原であったという。

 切通片町は、元和2年(1616年)幕府中間方22名の大縄拝領地(一括してもらう広い土地)で、切通坂に沿った片側町屋なので切通片町と呼んだ。

 明治2年、この両町を併せて切通坂町とした。町名は切通坂からとった。

 麟祥院前に猿が飴袋を持つ看板の飴屋猿飴があった。

文京区

麟祥院前にポケットパークがある。

ポケットパークに春日局之像があった。


春日局和歌


西に入る
 月を誘い
  法をへて
今日ぞ火宅を
 逃れけるかな

文京区と春日局

 文京区「春日」の地名は春日局が乳母として仕えた三代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し、昔は春日殿町と呼ばれていました。

 また、春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり、文京区は春日局と歴史的に深い縁があります。昭和64年1月(1989年)より1年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました。文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し、区民の皆様と共に区内の活性化、地域の振興を図ることを目的として種々の事業を推進しました。ここに本事業を記念して春日局像を建立することにいたしました。

文京区春日局推進協議会

平成元年(1988年)12月、礫川公園に建立。

令和元年(2019年)10月14日、現在地に移設。

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