同所南に隣る。普門院と号す。真言宗にして京師(みやこ)三宝院に属す。開山は権大僧都弘尊法印と号せり。本堂 本尊聖観世音菩薩(海中より出現ありし閻浮檀金(えんぶだごん)の霊像にして、弘法大師の念持仏なりといへり。世に水月観音と称へ奉る。この霊像の利益感応のすみやかなる事は、あたかも月の水に影をやどすがごとくなりといふこゝろを以つて、かく号くるとなり。)薬師堂(中門の左の方にあり。本尊薬師並びに十二神将の像を安置す。弘法大師作なり。)紫銅地蔵尊(門を入りて左の方にあり。石を畳みて台座を設く。宝永五年戊子沙門正元坊建立する所にして、江戸六地蔵の一員なり。) |
東京都指定有形文化財 |
像の高さ5.75メートル。深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同者を得、江戸六地蔵第一番として、宝永5年(1708年)に造立したものである。 製作者は、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀である。 像の衲衣部をはじめ蓮辨、石基などに寄進者等の名を陰刻し、奉賛者がいかに多かったかがしのばれる。 なお、江戸六地蔵は次のとおりである。 このうち永代寺の地蔵菩薩像は、同寺が廃寺になったことにより、浄明院(上野)に造立されている。 |
品川寺(品川区南品川) |
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東禅寺 台東区東浅草2丁目 |
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太宗寺 新宿区新宿2丁目 |
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真性寺 豊島区巣鴨3丁目 |
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霊岸島 中央区白河1丁目 |
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永代寺 江東区=消滅 |
品川の品川寺は、東都第一の大門とぞ。海上禪林の額は、旭にむかひ、汐風松にしぶきて坐禪の衾をかす。 |
梅よりも桜に寒し隅田河 | 應庵 |
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付いて来て蓑虫住みぬ植えし竹 | 鳳朗 |
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□萩のふむともなく咲きにけり | 由誓 |
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糠星を尽して涼し寿みだ川 | 大梅 |
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芦枯れてまことのとけし角田川 | 水高 |
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閏 月 |
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ひと月は皆初秋や隅田川 | 碓嶺 |
□斎閑人書 |
江戸時代の末期、品川寺の大梵鐘は海外に搬出されたまま行方不明になっていたそうだ。 大正8年(1919年)、スイスのジュネーブの「アリアナ美術館」に在ることがわかり、昭和4年(1929年)10月15日、ジュネーブ市議会は大梵鐘を品川寺へ贈還すること議決した。 昭和5年(1930年)5月5日、品川寺で鐘の帰還式が行われ、高浜虚子は帰還式に出席して、この句を詠んだ。 |
五月五日。品川寺の梵鐘、亜米利加に渡りゐたりしもの久しぶり にて寺に帰る。其鐘供養あり。 座について供養の鐘を見上げけり 山伏は貝を吹くなり鐘供養 町人の来てはつくなり鐘供養 |