この像は、日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、北区民有志を中心とした「日中友好・世界平和祈念『平和の女神像』建立の会」と、北区、北区議会、北区自治会連合会、区内企業、関係団体等が力を合わせ、1974年に、飛鳥山公園に建立したものです。 作者は、長崎市「平和祈念像」の作者として有名な故北村西望氏です。 当初は、大噴水のあった中央広場に建立しましたが、1998年3月、公園の大規模な改修に伴い、現在の場所に移設いたしました。 なお、台座の裏に「女神像建立の辞」があります。 |
制作 北村西望 1884年長崎県生まれ。1912年東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科を首席で卒業後、北区西ヶ原のアトリエ(後に井の頭公園内へ移転)で数々の名作を製作。1947年日本芸術院会員。1958年文化勲章受章。1974年日展名誉会長、1980年東京都名誉都民、1981年北区名誉区民。1987年永眠。 |
東京都北区 |
小倉右一郎
年未詳 当財団の所有であった旧渋沢家飛鳥山邸の丸芝(現:東京都北区飛鳥山公園旧渋沢庭園内)の縁に置かれていた石像。平成9年(1997年)の渋沢資料館本館新築時に現在地に移動、設置されました。制作年代、経緯は不明ながらも晩年の栄一の面影をよく伝える作品です。 小倉右一郎(1881−1962)は香川県出身の彫刻家。東京美術学校彫刻科本科を卒業後、東京で活躍しました。作域は、歴史的人物から肖像彫刻まで至る人物像で、大正から昭和初期にかけて高い評価を得ます。またブロンズだけでなく大理石、花崗岩、セメントを素材とし、日本初のセメント彫刻である日本工業倶楽部正面に掲げられた「坑夫と織姫の像」は、現在もなおその姿をとどめています。 大正5年(1916年)、小倉は、新築の東京銀行集会所に長年同所会長を務めた栄一の喜寿祝いとして建立するためのブロンズ製栄一胸像を制作。さらに大正14年には長年にわたる東京市養育院に対する功労を記念して建立されたブロンズ製栄一座像の原型を手掛けました。 |
昭和9年(1934年)10月、さぬき市志度に平賀源内先生銅像建立。 昭和37年(1962年)7月15日、小倉右一郎逝去。享年81。 |