2016年島 根

八重垣神社〜素盞鳴尊〜
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松江市佐草町に八重垣神社がある。

八重垣神社


「延喜式神名帳」に「出雲國意宇郡 佐久佐神社」とある。

御祭神は素盞嗚尊・櫛稻田姫命。

八重垣神社由来記

 早く出雲の八重垣様に縁の結びが願いたい という歌は出雲において最も古い民謡で御祭神も八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素盞鳴尊と国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がおまつりしてあります。

素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治になる際斐の川上から七里を離れた佐草女の森(奥の院)が安全な場所であるとしてえらび大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました。そして大蛇を退治して、

「八雲立つ出雲八重垣妻込めに八重垣造るその八重垣を」という喜びの歌をうたい両親の許しを得て

「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ縁結びの道をひらき掠奪結婚から正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として又家庭和合子孫繁栄安産災難除和歌の祖神として古来朝廷国司藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります。

境内には夫婦椿傑作な狛犬神社界日本最古の壁画鏡の池八重垣連山(百穴)等あります。

素盞鳴尊御歌


八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を

北海道の八雲町役場にも歌碑がある。

これは素盞嗚尊と申す神の、出雲の國にくだり給ひて、足なづち手なづちの神のいつきむすめをとりて、諸共に住み給はむとて宮づくりし給ふ時によみ給へる御歌なり。これなむ句をとゝのへ、文字の數をさだめ給へる歌のはじめなる。八雲たつといふはじめの五文字は、その所に八色の雲の立ちたりけるとぞ書き傳へたる。


「芭蕉」の句碑があった。


和歌の跡とふや出雲の八重霞

出典は『もとの水』。「季吟勧進巻頭」と前書きがある。

俳諧一葉集』は「寛文延寶天和年中」とする。

「存疑」の句である。

昭和11年(1936年)6月、松江羽扇の会建立。

安永8年(1779年)3月24日、蝶夢は八重垣神社に参詣している。

佐竹村の八重垣の社にまゐる、素盞烏尊稻田姫を祭る、八重垣とて社の中に柴垣をいくへともなう結廻したる所なり。

八重垣をめぐりめぐりて春くれぬ
   蝶夢

八重垣にかさなる春の草木かな
   古聲


多遅樗雲の句碑


木枯や神のみゆきの山の跡

松平雪川建立。

松平雪川は出雲松江藩の第七代藩主松平不昧の弟。

享和3年(1803年)、51才で歿。

小泉八雲は「朝雲」の句碑を見ている。

 この山門の左手の前のところに、碑が一つ立っている。碑には、朝雲という人の詠んだ発句が彫ってある。

   木枯や神の御幸の山の跡

 わたくしといっしょに行った連れが、それを翻訳してくれた。

『日本瞥見記』(八重垣神社)

昭和41年(1966年)10月25日、星野立子は八重垣神社へ。

 十時十六分松江着。八重垣神社へ。正立教子さんに久しぶりに会う。
むらくも荘昼食、句会。八重垣神社の鏡の池のあたりが面白かった。
唯の畦道を歩いたり枝豆が畔にあるのをつくづく見たりして歩く。

鵯が鳴き日が当り野路はるか

稲架の香をきゝたしとこの道をとる

秋晴やよきと好きとは違ふもと


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