知らで見ば富士とはいわん石見なる 佐比売の嶽の雪のあけぼの 西行法師が三瓶山の雪景を詠したものと古くから伝わるここ雪見塚である。 郷土の俳人中島魚坊の門人が寛政4年3月、芭蕉翁百年忌追善のため建立したもので、碑の裏に芭蕉の句が刻んである。 いざさらば雪見のころふところまで 西行法師像 堂内に安置(中央) 建久の昔、西行法師が地方に巡錫の道すがら杖を休めた旅装坐像である。 魚坊像 堂内に安置 享保10年、大田が生んだ俳聖中島魚坊は、又は号を芙川・闘草子・猿中窟・潜魚庵、隣戸庵・しのぶ庵と云い、多くの門人を育成し、寛政5年辞世の句 茶の花や人目も草も枯れたとき を残して、69歳で出雲で没した。俳文俳句は今に伝わり尊重されている。 現代・松井立浪著「俳人魚坊作品集」が刊行されている。 弘法大師・延命お地蔵 堂内に安置 大田大師七カ所巡りの2番目のお地蔵で、幸田氏(相生町)から寄贈されたものである。共に善男・善女の崇敬の霊域である。 昭和27年、大田町政50周年にあたり、本堂再建
雪見町自治会 |
貞亨4年(1687年)、『笈の小文』の旅の途中、名古屋の夕道邸で詠まれた句である。芭蕉44歳の時のこと。 |
『諸国翁墳記』に「雪見塚 石州大田ニ在 □三建 いさゝらハ雪見にころふ所まて」とある。 『諸国翁墳記』の記載順から考えると、宝暦11年(1763年)以前の建立ではないだろうか。 |